北栄町曲の地域墓地にて、供養塔の建立と墓誌・六地蔵様の新設、墓地の整備

倉吉市、北栄町、琴浦町をはじめ、鳥取県中部にてお墓・石材のお仕事をさせていただいております景山石材です。北栄町曲の地域墓地にて、供養塔の建立と墓誌・六地蔵様の新設、墓地の整備をさせていただきましたので、ご紹介いたします。

 

北栄町曲 地域墓地 寄せ墓・供養塔建立

 

地元に長くお住まいのお客様からのご相談です。山の中にお墓があり、周りは竹林に囲まれ、落ち葉や雑草の除去も大変だそうで、何とかしたいとお悩みでした。また、先祖代々長く続いているお家柄で、墓地にもたくさんのお墓があってその管理も大変とのことで、お墓をおまとめする寄せ墓をご提案、供養塔を建立させていただきました。

 

工事が完了した代々のお墓と五輪塔の供養塔です。代々墓は、もともと倉吉の小田で採られていた小田石(こだいし)という石で作られています。たくさんのお墓の中で一番新しいものでした。一般的には向かって右側が上座なので、上座側に古いご先祖様をご供養する形で供養塔を配置しています。足元は、雑草が生えにくくなり固まる土で仕上げました。

 

供養塔です。古いお墓にあわせて青系の石を使用しています。手前にあるのはお線香立で、代々墓と同じ形のものをお付けしました。

 

こちらは代々の方のお名前とご戒名、来歴等を記した墓誌です。今日まで18代、初代の方は何百年も前の方とのことですから、大変貴重なものになりました。石は、驚くほど長く残る自然物です。今でも1000年以上前の石塔や、文字が刻まれた平安・鎌倉時代の五重塔など、びっくりするほど古いものもたくさん残っています。さらに驚くことは、今のような便利な道具もない時代に、形を作って文字を刻んで残していることです。おそらく切れ味の良いノミなどもなかったでしょうから、当時の石工の技術には、石を扱う仕事をするようになった今となっては、「すごいなあ」と感心します。今回設置したこの墓誌も、何百年先になるか分かりませんが、後世まで末永く残るものになりました^^

 

六地蔵様は、それぞれが個別のお地蔵様ではなく、台座に一体となった形でご用意しました。別々だと立地柄、枯れ葉に埋もれてしまったり、地震で木が倒れてきて動いてしまったりすることもありますので、お客様とお話してこの形を取りました。設置場所が限られていることもありますので、すっきりとしていてお参りや管理もしやすい形です。

 

お参りにお越しになるだけでも大変な場所でしたので、お掃除や管理が楽になり、お客様には大変ご満足いただけました。今回は、18代にわたってご先祖様のお名前を彫刻するという珍しいお仕事もありました。弊社がお仕事をさせていただいている地域は、古いご先祖様からのお墓を守っている方もたくさんおられるので、10代くらいまでならお名前の彫刻をしたことはありますし、お墓の数でいうともっとたくさんのお墓が点在しているケースもあります。ただ、ここまで克明に調べておられる方は初めてで、お墓の形やご戒名から「この人はお医者さんだったのでは?」と推測されるなど、新たに勉強させていただくこともたくさんありました。貴重な機会をいただきまして、ありがとうございました。この先も末永く大切にお参りいただけますと嬉しい限りです。何かお手伝いできることがございましたら、どうぞいつでもお声かけください。

長年お墓や石材を取り扱う仕事をしていることもあり、私自身も年々、この地域の歴史やルーツについて考える機会が増えて詳しくもなってきました。実は今回のお客様は私と同じ集落の方でしたので、もしかすると地域のルーツもここにあるのかもしれませんね。ただこうしたことに詳しい方も少なくなってきているので、語り継がれることが減り、失われていくものがあることが少し残念でもありますが、地域の歴史や人々の暮らしに思いをはせたお仕事でした。